16日土曜日、総社市の新本で「義民祭」が行われます。義民祭が毎年、夏に開かれるきっかけとなったのは、大正6年(1917年)の「義民二百年祭」でした。約100年前の二百年祭の式典で歌われ、現在は歌われなくなっている唱歌を今も覚えている人がいます。その人は、新本の永田賢(かしこ)さん92歳です。
永田賢さんは、大正8年生まれの92歳。小学生の時、義民社の前で行われた義民祭の式典で二百年祭で作られた唱歌が歌われていたそうです。山陽新聞の前進、中国民報によると、義民四人衆の遺徳をしのぶ二百年祭が営まれたのは、大正6年(1917)5月7日でした。その式典で児童たちが合唱した唱歌がありました。義民四人衆の死を悼み功績を讃えた唱歌は、当時、教師だった稲葉春生画伯が作ったものでした。永田さんが覚えていた歌をもとに新本小学校の金池教諭によって楽譜を書きとる採譜が行われました。
義民二百年祭の唄
「花はちりてぞ香をとどめ 人は死してぞ名を残す
今より昔二百年 世は徳川のなかつころ
我が新本の村山は 我欲に深き藩吏らに
取り上げられしはかなさよ 折りしも立てる四人衆
村を救わん一心に 家をも親も妻も子も
義に打ち捨てて遥遥と 江戸へ直訴の雄雄しさよ
されど直訴の罪により 哀れ地になく不如帰
其の勲しは永久に などで虚しく果つるべき
村を鎮めの守り神 いざや祀らん諸共に いさや祀らん諸共に」




