水島空襲や倉敷市水島の亀島山地下工場について考える集いが開かれました。
この集いは、「亀島山地下工場を語りつぐ会」が開きました。講師に招かれたのは、三菱重工業水島航空機製作所の協力工場で働いていた倉敷市北畝の内海敏次さんです。当時16歳だった内海さんは、水島の町を襲ったアメリカ軍による4回の爆撃を経験していて記憶を辿りながら話しました。中でも、6月22日の空襲では、雨の降るような音がした後、地響きがして水島航空機製作所から黒煙が上がったことなど貴重な証言が語られました。講演の後、参加者からは、当時の防空壕の位置や終戦時の様子など質問が寄せられていました。尚、集いを主催した「亀島山地下工場を語りつぐ会」は、倉敷市に対して地下工場の安全対策と内部公開、さらに、戦争遺跡として市の文化材指定を求める署名活動をきょうからスタートさせることにしました。




