倉敷市の「中庄の歴史を語り継ぐ会」は、中庄地区の歴史や文化を後世に伝える活動をしています。会では、中庄地区に面影を残す、江戸時代岡山藩が整備した道・鴨方往来を調査するうちに昭和の初めに「KO(ケーオー)バス」という名前の乗り合いバスが走っていたことを知りました。その後、KOバスについて調べていくと、倉敷と岡山を結ぶバスといことで、それぞれの頭文字の「K」と「O」をとってKOバスと呼ぶことがわかりました。特集では、昭和の初めに民間会社が運行していた乗り合いバス・KOバスについてご紹介します。
現在、倉敷から岡山を結ぶ路線バスは、両備バスが運行する平日7便、土日祝日6便のみです。倉敷駅から旧国道2号を走り、川崎医大前・天満屋などを経て岡山駅までを結びます。なお、早島を経由するルートは、2010年から廃止されています。この路線バスのルートの元になったともいえる乗合バス、KOバスが、昭和の初め、倉敷と岡山間を走っていました。倉敷市東町に事務所を構える建築家楢村徹さんは、KOバスを運営していた楢村孫一郎さんの孫にあたります。楢村孫一郎氏は、明治36年(1903)から大正15年(1926)までハワイで雑貨・食料品店を経営。帰国後倉敷市の旧旭町にKO自動車商会を起こし、乗合バスとタクシー営業を開始しました。乗合バス・KOバスは、倉敷市旭町(現在の鶴形1丁目)から岡山市橋本町(現在の京橋町)までの19キロを運行しました。昭和11年に国道2号が完成し、旧国鉄バスが開業するとKOバスは、路線バスの運行業務から撤退します。倉敷~岡山^山間を走ったKOバスは、わずか10年ほどの運行でしたが、いち早くモータリゼーションに注目した事業だったようです。「中庄の歴史を歴史を語り継ぐ会」では、今回調査したKOバスの概要をまとめた「楢村孫一郎とKOバス」パネル展を、月13・14日の2日間、倉敷市役所1階市民ホールで開くことにしています。




