倉敷市出身で日本のプロ野球をけん引してきた星野仙一さんを称える記念館がきょう(30日)閉館しました。
最終日に訪れた人たちから語られたのは故郷・倉敷で繋がった星野さんの想いでした。
小学4年生のときに星野さんが初めてお母さんに買ってもらったグローブや、倉敷商業高校野球部時代に着ていたユニフォームなど、記念館にはおよそ1000点の思い出の品が収蔵されています。
ドラフト1位指名を受けて入団した中日ドラゴンズでは闘争心溢れるピッチングで「燃える男」と呼ばれ、引退後は中日ドラゴンズ、阪神タイガース、東北楽天イーグルスの監督として「闘将」の愛称で親しまれてきました。
2008年にオープンした記念館にはこれまでおよそ50万人が訪れ、星野さん本人も度々足を運んでいたといいます。
オープンからおよそ14年。
全国のファンから惜しまれながら迎えた最終日、外には1番乗りで現れた女性の姿がありました。
バッグには、2018年に星野さんが亡くなる前にこの場所で交わした約束の思い出があるといいます。
平日にも関わらずその後も続々と人が訪れ、午前10時の開館を前に外には列ができていました。
新型コロナの流行前は1カ月の来館者が1500人ほどでしたが、10月に閉館を発表してからきのう(29日)までの間に8200人を超えるファンが駆けつけました。
中には結婚、出産といった人生の大きな節目にも欠かさず訪れていたという方も。
40年前から星野さんとゴルフ仲間で記念館の立ち上げに携わった延原敏朗館長は、80歳を迎えて体力的なことなどから閉館を決めました。
およそ1000点の収蔵品については倉敷市へ寄贈することにしています。
今後は市が展示場所などを考えていくということです。




