倉敷市中島の真言宗の寺実際寺で行われた再興400年祭法要に合わせ、実際寺ゆかりの郷土の偉人三島中洲の足跡や偉業を学ぶ講演会が開かれました。
三島中洲講演会は、中島学区郷土を学ぶ会が主催して開かれたものです。江戸時代の末期、天保元年(1831年)に倉敷市中島の庄屋に生まれた三島中洲は漢学者で東京の二松学舎大学の創設者でもあります。講演会では、日本漢文学の研究者で二松学舎大学の町泉寿郎教授を講師に迎えました。三島中洲は、14歳で儒学者山田方谷の門下生となり陽明学を学びます。30歳の時、備中松山藩に仕え藩主板倉勝静が幕府の老中に昇任したことで激動の幕末を経験します。明治維新後は、新政府の役人として裁判官などを務めたあと明治10年に二松学舎大学の前身である「漢学塾二松学舎」を創設し、漢学・東洋学の発展に尽くします。講師の町教授は、年代ごとに三島中洲の足跡を解説しました。漢文、漢詩の大家として知られた三島中洲が明治天皇の勅命を受けて木戸孝允の神道碑の碑文を著すなど全国各地に200以上の碑文が残っていること、中洲が著した文章によって近代日本の軌跡そのものが後世に伝えられてきたことなど町教授は三島中洲の業績を紹介しました。なお、講演会に先立って、中島学区郷土を学ぶ会が制作した紙芝居「三島中洲物語」が上演され三島中洲の生い立ちから大正8年に90歳で亡くなるまでの生涯を紹介しました。
【インタビュー】中島学区郷土を学ぶ会・応武孝義会長




