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岡田藩の大男 小田鼐三郎

今年の夏の真備船穂総おどりで大きな山車で登場して話題を呼んだ、「岡田藩の大男」と伝説に語られる倉敷市真備町有井の小田鼐(だい)三郎をご紹介します。

2014真備船穂総おどりでひときわ目を引いたのは、薗のだいちゃんこと岡田藩士 小田だい三郎をモチーフにした大きな山車でした。薗まちづくり推進協議会のメンバーは一致協力してハギレや廃材などを各家庭から持ち寄り、創意と工夫をこらしながら身長2m40cm、体重135キロの大男、伝説通りの大きな小田だい三郎人形を一カ月半かけて制作しました。「岡田藩の大男」こと小田鼐(だい)三郎は、江戸時代の終り頃現在の倉敷市真備町有井小山地区に生まれました。鼐三郎は、8尺、35貫の体格で現代に直すと身長2メートル40センチ体重135キロの大男だったようです。しかも、足が速くて力持ち、特に剣術は優れていて、『一撃必殺』、『二の太刀要らず』と言われた示現流(じげんりゅう)を得意とし、その風貌と迫力から恐れられ、打ち合いの相手が誰もいなかったと伝えられています。さらに学問にも親しみ文武両道に秀でた藩士として岡田藩の剣術の指南役を務めました。小田鼐三郎のお墓は、倉敷市真備町有井の小田家の墓所に残されています。竿石の側面に鼐三郎の文字と亡くなった年の文久二年(1862年)の年号が刻まれています。また、小田家の寄墓の中には、明治・大正時代の教育者で岡山県商業学校現在の岡山東商業高校の初代校長小田堅立(けんりゅう)の墓石もあります。「岡田藩の大男」として江戸にまでその名が知られていた鼐三郎は江戸勤めからの帰りに高梁川を歩いて渡っていたところ石につまずいてしまい、自分の身を傷つけられたその石を懐に入れて持ち帰ったそうです。小田家の菩提寺「宝生院(ほうしょういん)」の境内に「懐石」として安置されている重さ25貫・96キロの大きな石が鼐三郎伝説を今に伝えています。鼐三郎の子孫小田鶴次郎の七男にあたる 片岡幸雄さんは、子どものころ父親の鶴次郎さんから鼐三郎のことを聞かされたそうです。江戸時代「岡田藩の大男」として知られた小田鼐三郎は、平成になって再び「薗のだいちゃん」として蘇りまちづくりの新たなキャラクターとして注目を集めています。
【インタビュー】小田鼐三郎の子孫・片岡幸雄さん
        薗まちづくり推進協議会・間野正之会長

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  • 放送日:2014/09/15(月)
  • 担当者:中塚美佐子
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